『全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。
その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ』
蝕まれているのだ、あなたが想う『毒』に世界は。
いや、元からそれは誰かの『毒』であったのだ。
それは、
誰かと共に紡ぐ物語なのかもしれない、
蝋燭の灯りのような一編の詩かもしれない、
描きたかった虹の根元かもしれない、
聞かせたかったドレミかもしれない。
その、あたたかな手のひらさえ『毒』なのかもしれない。
――色とりどりの小瓶が薬棚に並んでいる。
白い指がそれを一本取り出してあなたに差し出す。
あなたはそれを飲むだろうか、飲ませるのだろうか、それとも。
珊瑚の浜辺に向かう森の道に、影が一つあった。
森を覆う地衣のようなゆったりとしたローブを身に纏い、長い銀色の髪を緩く編んでいる。中背の、男にも女にも見える曖昧な容貌をした人の形のものだ。その瞳は、真白な砂浜の光を受けて幾重にも色を変える。
痩身の体躯に似合わぬ大きな箱を抱えたそれは、水際に荷を下ろすと一息をつく。そして、水面に軽く指を滑らせた後、箱の中から小瓶を取り出した。小瓶の中には、なにやら紙片のようなものが入っている。
「さァ、仕入れの時間だ。いっておいで」
高くも低くもない、静かな声で呟くと、それは小瓶を水中へと放る。
小瓶は軽く沈み込んだ後、名残惜しそうに波間から顔を見せるが、やがてとぷんと消えていった。
そのようなさまが、いくつもいくつも繰り返し行われる。
最後のひと瓶が水中に消えるころ。
空には粉砂糖を吹いたような星空が広がっていた。
人の形をしたものは、パンパンと手をたたくと、空き箱をもって森へと戻っていく。その向こうには、明かりの灯る真っ白な建物があった。
いつからだろう。あなたが気が付かぬ間に手にしたものがある。
透明な、手のひらほどの小瓶。
中には小さな手紙が入っていた。
『手に手に毒を。湛えてどうぞ、おいでなさい。』
それだけの手紙だった。
けれど、何故だろうか、その一文ですべてがわかってしまったのだ。
ああ、あそこにいかなくてはと。
天河石の海と珊瑚の浜、緑青の森を抜けた向こうに白い瑪瑙の建物がある。
入り口という入り口はなく、出口という出口もない。
ただ向こう側の見えないトンネルが続いているようにも見える。
その内側には色とりどりの薬瓶が並んでいた。
瑠璃と瑪瑙の床をたたいて足音がする。
緩く編んだ銀の髪を揺らして、人の形がやってくる。
「はて、鐘が鳴ったと思ったけれど」
それは、外を覗き辺りを見回す。
そうして、建物の外壁にもたれかかっている小さな人影に目を止めた。
「おや、子供だ。珍しい。いや、初めてじゃないか?」
興味深そうに子供の前にしゃがみ込み、その顔を覗き込む。
顔色はよくない。栄養状態もよくない。だが、息はしている。
「おい、お前さん、どこからきたんだい」
声をかけられれば、子供はびくりと震えて目を覚ます。
すると、怯えた様子でカタカタと手に握っていた小瓶を差し出し呟く。
「毒を、いかようにも、しょぶんしていただきたく」
虹色の瞳を細くして、それは子供と小瓶を見比べる。
「お前の言う毒。それは、お前のことだね?」
子供は震えあがりながら、何度も首を縦に振る。
その様をつまらなそうに見ると、それは鼻を一つ鳴らす。
「中へお入り。あたたかな食事と風呂、新しい服と部屋を用意しよう」
子供は歯を鳴らしながら、視線だけでその姿を追う。
「私ァ、おいでなさいといったけれどもね、それをどうするかは、こちらの自由さね。それに、ここに辿り着けたということは、私とお前さんには縁があったということだ。わかるかい? お前を歓迎するといっているんだよ」
それでもなお、子供は瞬きを繰り返すばかりで立とうとしない。
「仕方ないあなァ」
猫でも掴むかのように軽く子供を片手で抱き上げると、そのまま建物の中へと入っていく。
そこでやっと、子供が戸惑いの声をあげるが、かまわずに中へと消えていった。
「ちょうど薬剤師が欲しかったんだ」
瑠璃と瑪瑙の床をたたいて、二つの足音がする。
「また小瓶が流れ着いてましたよ」
「そろそろ、頃合いさねェ」
「新しい瓶は工房のどこに保管しましょうか?」
「君にまかせるよ、薬剤師。そろそろお客も来るだろう、手袋とマスクを忘れずに。私はともかく、君はすべての生き物にとって毒なんだから」
「はい、わかってますよ。パラケルススさん!」
水煙草のパイプを置いて、パラケルススは頬杖をつく。
「それで、今日は何をお求めで?」
色とりどりの小瓶が薬棚に並んでいる。
白い指がそれを一本取り出してあなたに差し出す。
あなたはそれを飲むだろうか、飲ませるのだろうか、それとも――